本日もお越しいただきありがとうございます。
子連れ料理人ブロガーYaffeeです。
今回のお話は、「陣痛促進剤から約25時間となったうちの初産」について。
以前の記事(出産予定日が過ぎた!!予定日が過ぎた後、絶対にやってはいけないこととは??)でも書いたように、出産予定日から1週間が過ぎてしまいました。
出産予定日から2週間過ぎてしまうと、難産になるリスクが高くなってしまいます。
医師の診断により「陣痛促進剤」を投与して出産するため、1月6日に妻は入院することになりました。
9時に入院、昼ぐらいから投与が開始されたみたいですが、そこからわが子が誕生したのが1月7日の11時32分でした。
投与後すぐ陣痛が始まり、そこから出産までずっと陣痛は続いたそうです。
今日は夫である僕目線ですが、この25時間の妻の激闘を書いていこうと思います。
出産予定日から入院まで
うちの出産予定日は12月30日でした。
その日までは、標準体重より少し大きいぐらいの我が子。
「もしかしたら予定日より早いかもね~」と話していて、クリスマスが繫忙期である料理人の僕はハラハラしていました。
ただクリスマスが過ぎ、予定日が過ぎ、4日まで正月休みに突入。
「正月休み中に生まれるかもね!」なんて妻と話していました。
ところが正月休み中にも陣痛は来ず、5日に一緒に検診に行くことに……。
それまでコロナ禍だったので、夫も一緒に検診に行くことはできませんでした。
初めての妊婦検診の付き添いとなり、少しドキドキしていました。
初めて見るエコー写真越しに動いているわが子。
すごく元気で、母子ともに大きな問題はなかったそうです。
ところが子宮口がほとんど開いていなく、翌日から陣痛促進剤の投与と入院が決まりました。
そして翌日9時から病院へ妻を送り届けて、僕は職場へ。
この日は、新年最初の営業でしたが記録的な大雪ということもあり、店はすごく暇でした。
だからではないですが、妻のことが心配で心配で仕方ありませんでした。
その後10時前ぐらいに妻から「陣痛が5分間隔になった」と連絡が来て、早上がりさせてもらえることに……。
今日会えるかもしれない!!
そんな期待に胸を膨らませながらワクワクハラハラした気持ちで帰路につきました。
後悔
ところが、子宮口はあまり開いていなく、「今日は厳しいだろう。明日に備えて今日は寝ましょう」という医師の判断となりました。
身勝手ながら、「明日か。。」と少し落胆しつつ、まだ夜中に声がかかるかもという思いもありながら連絡を待ちました。
そんな中妻から電話が……。
その内容は「ずっと陣痛が収まらず、苦しい。。」という内容でした。
今日分の陣痛促進剤の投与をやめ、今日はいったん寝ましょうという判断になってからもずっと陣痛が収まらなかったそうです。
自分の愚かさを痛感しました。。。
僕はどちらかというとわが子に会えるワクワクが勝っていました。
ところが、その間妻は休むこともできずずっと痛みに苦しんでいたのです。
ものすごく後悔しました。
出産がつらくて大変なものだということは頭でわかっていても、今思うとパートナーのくせに楽観視していたのだと思います。
僕は、「一晩中つらい時にいつでも電話してきな」といい、すぐに電話に出られるようにしました。
結局朝までに妻からの電話は、5回ほどありました。
妻は一睡もできませんでした。
一時危ない状況へ
妻にとっては昨日の昼から続いた長丁場。
睡眠導入剤も使われたようですが、全く効かなかったそうです。
そして朝5時頃、再び妻から電話が来ました。
「また痛いのが来た」「また間隔が短くなってきている」と
痛みを落ち着かせれるように何度も「大丈夫だよ」「ゆっくり深呼吸しよ」といいました。
そのさなか、一時子供の心拍が微弱になってしました。
すぐに助産師さんが駆け付けたようで、そこで一時電話は切れました。
その後すぐに再び妻から「子供は何とか持ち直した」と電話がありました。
そして、「助産師から旦那さんに来てほしいといわれた」と……。
急いで支度をし病院に駆けつけてみたら、助産師の方から子供の心拍が弱くなった経緯と妻の状態を聞かされました。
子宮口と子供の頭の間にへその緒が来てしまい、へその緒が圧迫されて酸素などの供給ができなくなっていたそうです。
何とか体勢を変えることで持ち直したそうですが、妻の心が折れかけていると……。
だから旦那さんに支えてほしくて連絡したそうです。
そして妻のいる病室にたどり着き、一日ぶりに再会すると……
昨日までまだ少し明るい表情だった妻が一日でここまで変わるのかと思うほど疲れ果てている顔をしていました。
それもそのはずだと思います。一晩中叫ぶほどの痛みで休むことが一切できなかったわけですから。。
妻の顔を見て、申し訳ない気持ちと支えなくてはという気持ちがより一層芽生えました。
病院についたのは、朝の7時ぐらい。
そこから、医師の診察まで2時間。
その間も妻は5分間隔でずっと叫ぶほどの痛みに襲われていました。
ただ見ていることはできませんでした。見ているだけでもつらいです。
でも僕のそわそわした気持ちがなるべく伝わらないように、
テニスボールで会陰を押さえたり
腰をさすってみたり
声をかけたり
マッサージしてみたり……
外で待たされるたびにスマホで調べては試してみました。
助産師さんが言うには、僕が来て少し妻の表情が良くなったそうです。
ついに医師の診察の時間が近づいてきた、朝8時半ぐらい。
この時点で、妻は22時間以上も叫ぶほどの陣痛に耐えていました。
助産師さんも見るに耐えかねたのか、
「よく耐えたね。もう十分頑張ったから、切開になってもしょうがないからね。」
このようにいっていました。
こういったのも促進剤を投与したらもっと苦しくなるからだと思います。
長い地獄のような痛みに耐えてきて疲れ切った妻の姿を見て、妻が医師の診察の時にどう選択してもいいと思っていました。
医師の診察の時間になり、そして病室に帰ってきた妻が選択したのは、再びの促進剤の投与でした。
正直その強い選択に涙が出そうでした。
そこから2時間ほど、投与前とはさらに比べ物にならないほどのつらい陣痛がずっと続いていました。
ついに出産
そして我慢できないほどの痛みとなった11時頃。
ついに分娩室へと移動することとなりました。
そこからも妻は、地獄のような痛みだったと思います。
僕のできることは、
- 休めるタイミングで水を出すこと
- タオルで汗を拭くこと
- いきむときに腕枕を出すこと
ぐらいでした。
そして分娩室に移動してから約30分後の11時32分。
ついに娘が産まれました。3146gでした。
産まれてきた我が子と自然分娩を成し遂げた妻の姿を見て、思わず泣いてしまいました。
いろいろな感情がこみ上げすぎて、「よく頑張ったね」そんな言葉しか出てきませんでした。。
今回のお産を通じて
出産に関して男の僕ができることは、支えることしかできません。
だからこそ立ち合えるのなら、絶対に自分はオロオロしないでできることをやるしかないと思います。
特に役に立ったのはテニスボールでした。
そして腰のマッサージをしたのが妻にはよかったみたいです。
どこか立ち合い出産にレジャー感覚の男性やできることなんか何もないと思っている男性もいるようです。
ただ、正直今回のお産で腕がパンパンになるまでさすったりマッサージしたりしていました。
さらに、子供が生まれた後、妻から胎盤が出てくる光景を見ることもあります。
ハッキリ言って感動が覚めるぐらいグロテスクで、見るからにつらそうな時間が続きます。
産まれた瞬間はものすごく感動はしますが、ものすごくつらいです。
ただ、今後何があっても妻と子供を守ろうと思う強い意志も同時に芽生えると思います。
もしこれからパパになるプレパパさん。
覚悟して可能な限り立ち合い出産を希望してみてはいかがでしょうか?
僕は見ていてつらかったですが、立ち合い出産をして本当に良かったと思っています。
最後に……
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回の話いかがだったでしょうか。
出産を控えたプレママさんとプレパパさんの少しでもためになるように、僕たち夫婦の出産の話をまとめました。
一番はこれから出産を迎える妻を持つプレパパさんに「立ち合い出産の実際」を旦那さん目線で伝えたいです。
ぜひ立ち合えるのなら、全力で支えてあげてください。
言うまでもないと思いますが、それが立ち合い出産中に男ができる唯一のことだと思います。
そして立ち合い出産のときに少しでも落ち着かせられるように、
妊娠しているときから腰をさすったり、マッサージしてみたりしてみるといいと思います。
今回の記事が参考になっていただけたら嬉しいです。
それではまた次回もよろしくお願いいたします!!
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